We’ll Meet Again

ギタリスト岩永さんご逝去に寄せて

物静かだけど話せば朗らかな性格で、対人距離感が近すぎず遠すぎず、向上心があって、自分より上手い人は屈託なく素直に褒め称え、初心者や年下・不慣れな人間にも同じ目線の高さで向き合ってくれて、好きなものが似ていると喜んでマニアックな話をして、なにより大事なのは、誰に責任を負わせるでもなく自分の意志で自分のやりたいことをやっている!これはもう聖人。

出会ったのはいにしえのSNS「mixi」で、当時のわたしは斜に構えた人生舐めプの学生でした。
ジャズの世界にはおじさんがいっぱいだな~と思っており(失礼)、岩永さん、もといパット・ヒイテミーさんも「ジャズ好きのおじさんそのn」という第一印象だったのですが(失礼)、そこから15年以上真摯に紳士にジャズと向き合っていらっしゃる姿をずっと見ていて、これはもう「ほんもののジャズ好きのおじさん(殿堂入り)」である(失礼)。

思い出深いエピソードが2つある。

1つ目は、いつだったかジョンスコさん(John Scofield : gt)とビルスチュさん(Bill Stewart : ds)が来日ツアーでBlue Note Nagoyaに来た時の話。

大学ジャズ研時代の先輩ドラマーと同行し席を探していたら(先着で自由席だった)、ビルスチュを見るのに最高な席になんと岩永さんが座っていた。
『岩永さんも来てたんですね!我々もこの辺の席座ろうかと』と言ったら「おっ、来たね!この席に座る?僕はジョンスコ見られればいいから」と言って先に確保した席を譲ろうとしてくれたのだ。

『いやいや悪いです』「でもビルスチュ見に来たんでしょ?」『そうですけど早くから並んでその席選んだの岩永さんじゃないですかぁ』「ドラマーの人たちにドラム見て欲しいから、いいのいいの」『でもでも』「若い人に見て欲しいし」とかなんとか言って結局譲ってもらうことになってしまった。

演奏はもう最高の一言で、終演後岩永さんの移動先の席へ御礼を言いに行ったら「ビルスチュすごかったね!!手足がああでこうで…ジョンスコとのやりとりがどうでこうで…」ってビルスチュの話ばっかりポンポン出てきて、(岩永さんもきっと近くで見たかったよね…次なんかあったら席譲ろう涙)…

という話。ちなみにBlue Note Nagoyaはもうない。いろんな意味で次がない。涙

2つ目は、またこれもいつだったか、お店でのワークショップ兼ジャムセッションで久しぶりにお会いした時に、意図しない息子自慢を不意に聞いた時の話。

話の流れで「息子がヒライさんと同じ大学に入ってねぇ~~どんな学校なの?いいところなのかな?」と照れながら心底嬉しそうに話してくださった。
あまりご自身のことは熱心に話されないし、演奏活動が活発すぎていつ仕事してるんだろうと思うくらい、音楽関係でのお顔しか拝見してこなかったので、ご家族の話をする岩永さんの表情はとても新鮮に感じた。
御通夜の時にはこのエピソードを胸に息子さんと初めてお会いしてお話を伺い、そしてその息子さんはこれまた岩永さんによく似ていらして嬉しくなりました。


Pat Methenyより先に旅立ってしまうなんて早すぎます。
でもギターを弾ける御身体のまま苦しまれずに旅立たれたのなら、それが悲しみ・驚きのなかの小さな救いのようにも感じます。
またいつかお会いしましょうね。

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